2009年2月19日木曜日

山口義行立教大学教授の講演を聞く

 一昨日(平成21年2月17日)、某銀行主催の講演会に出席した。講師は山口義行立教大学教授である。タイトルは「日本の景気動向と中小企業経営~いま、経営者は何をなすべきか」。話術は『聞かせる技術』(河出書房新社)の著者だけあって見事である。論理明快にして起承転結はさすがである。
 ところで、話の主旨は、中小企業経営者は時代のトレンドとその真実を読みとらなければならないということである。マスメディアや親企業の言説に騙されるな。特に、経済番組などはコメンテーターに証券や投資銀行のアナリストが登場している。今回の状況を作り上げたいわば戦犯がである。信用などできない。というのが山口教授の論理である。確かにその通りである。だが、我々素人が真実を知ることなどできるのであろうか。難しいというのが現状である。まあ、そのために勉強しろということなのであろうか。
 そして、この時代を生き抜くためのキーワードは何か。①守る②つなぐ③問うの三つであるという。新たな中小企業の連携の中で学び新事業を創出する。生成躍動とした組織の構築を目指さなければならないと自覚した一日となった。

2009年2月18日水曜日

姜尚中東大大学院教授の話を聞く

 一昨日(平成21年2月16日)、東京の帝国ホテルで姜尚中東京大学大学院教授の講演を聞いた。タイトルは「悩む力」についてである。存知の通り、彼の著『悩む力』(集英社新書)はミリオンセラーだという。その著を廻る解析がその講演の主旨である。
 プロローグはなぜ、『悩む力』が売れているのかという分析から始まった。その語り口はソフト。人を引き込む魅力がある。結論から言うと、現代は鬱の時代であり悩む時代であるから読者の関心を引いたということである。どんなに高邁な哲学を持っていたとしてもドロドロとした現実社会で生きていかねばならない。そのギャップこそ悩みの源泉だ。
 姜は、近代の傑出した日本人の思想家として福沢諭吉と夏目漱石の二人を挙げる。躁の時代には福沢諭吉。鬱の時代には夏目漱石。そして、夏目漱石と同時代人である社会学者マックス・ウェーバーとの共通性を列挙し、病の現代を乗り越える方途を示した。それこそ、心理学者であるヴィクトール・フランクルの「意味への意志」である。「生きる意味」が悩みを乗り越えるためには必要であると彼は述べる。非常に示唆に富んだ講演であった。

2009年1月30日金曜日

東京財団、渡辺恒雄氏の話を聞く

 昨日(平成21年1月29日)、神戸の某ホテルにて、東京財団研究員渡部恒雄氏の講演を聞いた。読売新聞社の「ナベツネ」ではない。タイトルは「米国はどこにむかうのか?」真に時宜を得た内容である。渡部氏は、東北大学歯学部を出たあと渡米。ニューヨークの大学院で政治学を学び、その後は戦略国際問題研究所(CSIS)にて10年余りの研究生活を送ったという。
 話は論理明快にして弁舌爽やか。父堂は衆議院議員の渡部恒三。福島弁の朴訥なるその人とは大いに異なる。それはともかく、戦略国際問題研究所の10年のキャリアは多くのの知識と人脈を築き上げているいるようだ。彼の口から飛び出す名は現オバマ政権の中枢を担う人々である。特に、今後の日米関係についての言及は興味深いものがあった。メディアではオバマ政権では日米よりも米中関係が重視されるという論調が主流であった。これはいみじくも前民主党政権であるクリントン時代のジャパンパッシングからの類推であろうか。
 渡部氏は語る。今回の政権には知日派、親日派が多く日米重視の象徴となっていると。例えば、ガイトナー財務長官。彼はエール大学日本学部の出身。駐日米大使館での勤務もあるという日本語堪能のエリート。退役軍人長官のエリック・シンセキは日系三世。日系として二人目の閣僚である。またアジア担当国防次官補のグレグソンは元沖縄駐留。彼の人格は沖縄ではつとに有名である。
 これらの人事は日本にとっては有利というものではないが、若干の望みは持てるかも知れない。それより、世界同時不況の原因であるアメリカの経済の復興こそ緊急の課題である。オバマさん頑張ってとエールを送りたい。

2009年1月29日木曜日

長田貴仁著『増補新版パナソニックウェイ』を読む

 本書『パナソニックウェイ』(プレジデント社刊)は神戸大学大学院准教授長田貴仁による長年のフィールドワークによって構成された好著である。確かに、著者が後述するように「学術書の割には、読み易かったですね。」というパナソニックの部長が評価する如く、経済誌を読むような気楽さがある。当然、彼が経済誌の記者であったことが大きく影響しているのには違いない。インタビューも多く、かなりの臨場感がある。
 例えば、大坪社長の次のような回答。「松下電器の裏の競争力は何ですか?」という質問に対して。「5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)が職場で基本的価値観としてしっかり認識されていることが重要です。これは、工場であろうが、間接部門であろうが同じだと思います。」机上の空論ではなく現場をよく知悉した発言である。人間の姿勢はすべて行動に表出するのである。自らの反省として心に刻み込まねばと思う。
 ただ、本書の欠点が一つ。著者がパナソニックに対して「ブランドの統一とそのブランドを社名にすべきだ。」と提案したのが自分の成果であると自画自賛するところがまさしく学者らしくない。嫌な部分の記者精神というか、コンサルタント根性なのかと思ってしまう。

2009年1月28日水曜日

甲南大学杉本直己教授の話を聞く

 昨夜(平成21年1月27日)、甲南大学先端生命工学研究所の杉本直己所長の講演を聞いた。講演と言っても、視聴者15名の研究会の席である。タイトルは「ナノバイオと未来生活」。ワトソンとクリックによるDNAの二重螺旋の発見(1953年4月25日のNature誌)から現在の遺伝子工学、ナノバイオに至るまでを簡潔に説明して頂いた。人間とチンパンジーのDNAにおける塩基(A,T,G,C)の配列の相違は1.数%であるとは驚きである。また、白鶴酒造やパナソニックとの産学連携の例示も発想の転換というところで大きな感銘をした。
 それにしても、杉本教授のディベート力は素晴らしい。理系の学者とは思えないほどである(僕の少ない経験から判断すると)。アメリカでの学究生活の成果ということであろうか、それとも遺伝子の配列なのか。門外漢の僕が、同研究所の実力を知ったのは昨夜が初めてであった。今後、DNAによる検査装置やコンピューターなどができる日が遠からずやってくるかも知れない。教授は1989年のアメリカ映画「Field of Dreams」の例を挙げ話を締めくくった。まさしく、夢の実現は間近との予感を感じさせる話であった。

2009年1月27日火曜日

『ビジネス三國志』を読む

 本書『ビジネス三國志』(プレジデント社刊)は、石井淳蔵流通科学大学学長の実質的編書である。内容は石井の前任校である神戸大学の教え子たちの論文が6本掲載されている。石井淳蔵は言わずと知られた「ブランド論」の大家である。昨年出版された『マーケティング優良企業の条件』(日本経済新聞社出版社刊)では、積水ハウス、カルビー、松下電器産業(水越康介との共著)、終章を執筆。一社についてのフィールドワークによる研究が主体であった。それに対して、今回の本書では製品、商品の観点から「三國志」と銘打ち、ライバル企業との関係性からブランド論を展開しているのである。
 「市場とは一つではない」とし、「ライバル各社の競争の中で新たに生まれてくる場の形成のダイナミズムの意義を強調したい」(P41)と記している。その観点から、プレミアムビール、ハンバーガー、モバイルPC,健康緑茶等を題材に論理を展開しているのである。ただ、そのターゲットへの研究が皮相的である点が少々気になる。徹底した取材がなされたというよりメディアの取材を援用しているのが多いようである。従って、水越康介首都大学東京准教授がネスレやパナソニックを深く研究した前著に比較して本書の浅薄さが目立つのはそのせいかもしれない。

2009年1月26日月曜日

西成活裕著『無駄学』を読む

 本書『無駄学』(新潮選書)は西成活裕東京大学准教授の二冊目の著書である。一冊目は『渋滞学』(新潮選書)。彼の専門領域である。渋滞のメカニズムを説いたこの処女作は以前かなり興味深く読んだ。渋滞学という呼称は西成が創発したものであるが、無駄学の呼称も同様とのこと。「ムダ取り」で知られるコンサルタント山田日登志との出会いから無駄学という学問は始まったという。山田はトヨタ式経営手法である「ムダ取り」を、多くの企業で指導しその評価はかなり高い。メディアでも多く取り上げられ、そのスピード感と強烈な個性は印象的でもある。西成は山田との同行を通じ、山田の手法に西成の「渋滞学」が適応できると考えたようである。どちらかというと、山田の手法は暗黙知に近い部分が多いようである。その暗黙知を知として形式化しようとするのが西成の「無駄学」と言えよう。著者も言うようにその目的の達成は道半ばであろうが面白い試みであることは論をまたない。

2009年1月22日木曜日

三枝匡×伊丹敬之『「日本の経営」を創る』を読む

 本書『「日本の経営」を創る』(日本経済新聞社出版社刊)は、経営学者である伊丹敬之東京理科大学教授とミスミ会長の三枝匡氏との対談集である。二人の共通点は一橋大学出身。アメリカのMBA出身。そしてベストセラーの著者である。その二人がそれぞれの経験から「日本の経営」とはどうあるべきかを語るストーリーとなっている。
 経営学の歴史は浅い。そのためか、景気や社会動向の変化でその見解は大きく揺らぐ。アメリカが好景気のときはアメリカ型経営を絶賛する。かたや、日本の景気が上昇すれば日本型経営が称賛されると言った類である。アベグレンなどはその顕著な例である。最初に『日本の経営』を著した時はアメリカの好況時である。日本的経営の三種の神器が非効率の象徴のように記述していた。ところが、反転。日本の景気が上昇するや、版を変え、三種の神器は称賛される。それから、バブルの崩壊や失われた十年いや十五年の間は沈黙。その後、日本の景気が上向くや『新日本の経営』の出版となった。
 どんな経営手法がベターなの?われわれ素人はリエンジニアリングや成果主義。イノベーションやバランススコアカード。やたらと多い横文字に辟易してきたのである。そこに、視点の揺るがない伊丹敬之教授が新しい「日本の経営」を創るというタイトルでそんな経営学を撃つというのである。期待感での読書。ただ、三枝氏の「創る、作る、売る」小単位での組織が余り僕には理解できない。これが、新しい「日本の経営」となりうるのであろうか。社内の活性化は首肯できるものの、その経営手法は少しクエスチョンというところである。

2009年1月17日土曜日

松岡正剛著『神仏たちの秘密』を読む

 本書『神仏たちの秘密ー日本の面影の源流を解く』(春秋社刊)は松岡正剛の連塾での講演集。三部作の第一巻である。実を言うと、松岡正剛の著作を読んだのは初めてである。その名は知ったのは三十年も前のこと。なぜ、今なのか?彼をあまり知るべき位置にいなかったからである。正剛という名も中野正剛を想起させ感情的に忌避していたのかも知れない。
 今回は、この本題に惹かれての読書となった。講演集だけあって実に読みやすい。一気に読破することとなった。とは言え、アンダーラインを引くこと35か所。その発想の面白さはまさしく衝撃であった。「てりむくり」やサザンオールスターズの歌詞を例として日本人の心層を読み解くなど斬新である。
 ただ、何点かが理解不能である。ひとつは朝鮮半島と日本列島との関係である。どうやら、多くの歴史学者たちとと同様に、古代の関係を現在の国家を前提にして考えているようである。朝鮮半島半の国家と日本の国家は明確に異なるという発想である。しかし、古代人はどれほど強固な国家領域の意識を持っていたのであろうか。日本海(日本側の呼称)という海が発想の壁にになっているのかも知れない。日本列島にも朝鮮半島の一部にも倭人はいた。自由に往来するのは当然。文化も同一。僕はそう思うのである。
 もうひとつは縄文人と弥生人との関係である。松岡は縄文人は山人となったと考えているようである。しかし、現在では遺伝子研究などの科学的分析から現代日本人に縄文的形質と弥生的形質が残存していることが分かっている。決して、縄文人が放擲されたのではなく、松岡流に言えば、縄魂弥才が古代にあったのではなかろうか。

2009年1月15日木曜日

千本倖生著『挑戦する経営』を読む

 本書『挑戦する経営』(経済界刊)はイーモバイルの会長兼CEO千本倖生の体験記である。現在、イーモバイルと言えば「100円パソコン」。量販店ではかなりの人だかりである。パソコン関係?と誤解する人も多いが、イーモバイルはれっきとした新規参入の通信事業者である。安価なノートパソコンとデータカードを一体で販売しようとするコンセプトである。かっての0円携帯端末と同様なビジネス。
 ところで、千本氏の名はNTTそしてKDDI、イーアクセスでの活躍から経済界ではかなり知られている。僕が、彼に関心を持ったのは今から3年半前。中国のシンセンの「華為(ファウェイ)」という企業を訪れた時のことである。展示ルームには携帯端末がデスプレイされていた。その4年前同社を訪れた際には見当たらなかった風景である。そこでのマネージャーの話。「これはイーモバイル向けの携帯端末である」ちょとした驚きであった。その時は、イーモバイルが携帯事業に進出すると報道されてから日は経っていなかった。そして、携帯端末の製造では無名の企業を登用するとは!そのチャレンジ精神に驚いたのである。
 以来、千本氏の風雲児ぶりは、100円パソコンで更にその名を挙げたのである。それだけを見るとチャレンジャー、ベンチャーの旗手にしかすぎない。だが、千本氏の経営はコスト管理の徹底(「一円の節約は、一円の利益を生む」)など見習う点は数多ある。尊敬できる経営者の一人である。

2009年1月14日水曜日

谷沢永一・渡部昇一『上に立つ者の心得』を読む

 本書『上に立つ者の心得』(致知出版社刊)は学閥からすれば傍流の二人の学者の対談である。谷沢永一関西大学名誉教授と渡部昇一上智大学名誉教授。だが、その博学ぶりは抜きに出ていると言ってよい。その二人が中国は唐の時代の名著『貞観政要』をめっぐて対談する。本書の帯にはこうある。「『貞観政要』を読まなかった織田信長や豊臣秀吉の政権は短命に終わり、読んだ徳川家康や北条政子の政権は繁栄を築いた!」
 これだけ読むと戦略論の本かと錯覚する。しかし、どうやら「帝王学」に近いらしい。「善を出せば栄え、悪を出せば滅びる」とは太宗の言葉である。ええっ、徳川家康や北条政子は善の行為をしたとは僕の浅薄な歴史的知識からは考えられないのである。
 それはともかく、上に立つ者としての心得はどうあるべきかという指標には十分なる『貞観政要』の入門書である。それにしても、最近はこの手の倫理的な書籍が多く出版されているようである。公認会計士の勝間和代やSBIの北尾社長までも類似書を出版している。古くはカーネギーやナポレオンヒル。最近では『7つの習慣』のスティーブン・R・コヴィー等々。不安な時代を象徴しているかのようである。
 本書の中でも「帝王の業、草創と守文と孰れが難き」の一文。創業後の守成をいかに成し遂げるかを最大のテーマとしている。企業の寿命は十年といわれる昨今。考えるべき課題である。
 ただ、本書での難点を言えば、渡部氏の歴史観が余りにも国粋主義的である点である。失言で退任した中山大臣と同系列。侵略を正当化するのも此処までくるとKYかとも思うのである。

2009年1月13日火曜日

副島隆彦×佐藤優『暴走する国家 恐慌化する世界』を読む

 本書『暴走する国家 恐慌化する世界』(日本文芸社刊)は、評論家である副島隆彦と「外務省のラスプーチン」と呼ばれた佐藤優の対談本である。逮捕後、佐藤優の執筆活動は凄まじい。その内容の深さは驚愕に値する。哲学、文学、宗教、経済そして勿論のことながら外交。僕の彼に対する負のイメージは大きく変わった。そして、彼が人格者であるとの認識はより深くなったのである。
 それに対して、副島隆彦。佐藤優がその直観力を高く評価し「預言者」とまで持ち上げる人物である。ところが、本書を読み進めるうちに副島隆彦の情報にかなりの先入観が影を落としていることを看取できるのである。「はじめに結論ありき」である。マスメディアにありがちな牽強付会と強引さがある。そこが、佐藤優氏との大きな相違である。彼はインテリジェンスに携わってきただけあって客観性と分析力はすばらしい。それに対し、副島は演繹的とでも言おうか。論理的な方法がこの二人は正反対だと思えた書である。

2009年1月10日土曜日

堀紘一著『世界連鎖恐慌の犯人』を読む

 本書『世界連鎖恐慌の犯人』(PHP)は、時宜を得た著である。堀紘一の論理は明解である。「金融資本主義から産業資本主義への回帰、「虚」の経済から「実」の経済への再転換」(本書39P)こそ本書の主張であるからだ。学者の文章にはない、短いセンテンスは解りやすい。ちょっとしたノウハウ本として読むのには最適かも知れない。
 ただ、難点は堀紘一氏のエリート意識である。東大卒やハーバードMBAが数度出てくるのには厭味を感じる。更に、読み続けていくうちに投資ファンドとの個人的な体験が出てきた。その段階で本書の奥底に怨みの感情が渦巻いているのを知り興ざめしてしまった。
 昨日、京都で伊藤元重東大大学院教授の講演を聞いた。この金融危機の分析については堀氏と同様ではあったが、今回の経済危機を金融危機だけではなく構造の変化から捉えていた点が相違する。ひとつは高齢化の問題、もうひとつは技術革新の側面である。彼は言う。今まで続いた円安が国内回帰を促したが、円高状況では更なるグローバル化が必要であると。まさしくその通りである。ただ、彼の持論である消費税の大幅アップ(20%)や相続税の課税下限の引き下げについては、論理的には首肯できるものの十分な説明が必要であると思う。だが、彼の視点はかなり独創的であるものの、正鵠を得ているのではなかろうか。